松浦寿輝と辻征夫の話

かなり前の話になるのですが、松浦寿輝さんが「花腐し」で芥川賞を受賞なさった時のことを、思い出していました。

松浦寿輝、御存知ですか?

その受賞とおなじとき、ひとりの詩人が、一冊の小説を残して亡くなりました。

辻征夫。小説の名は、「ぼくたちの(俎板のような)拳銃」と言います。

「花腐し」は、この時まだハードカバーにはなっておらず、私はぐにゃぐにゃの文芸雑誌で松浦寿輝の快挙を読んだのでした。

何故、この2編の小説のことを覚えているのかと言うと、ふたつの小説には、ある「共通する一点」があり、その対比が、私にはとても印象的だったからなのです。

松浦寿輝と辻征夫は、全く異なる資質を持った詩人です。辻さんは、ユーモアに富んだ、のびのびとした詩を得意とされました。松浦さんについては、まだまだお元気ですし、特に説明の必要はないでしょう。理知的な、精緻の極みのような散文詩が、私は大好きです。

この、資質の全く異なる詩人が、同時期に小説に移行し、その記念すべき初めての小説で、松浦さんは芥川賞を受賞され、辻さんは亡くなりました。

さて、このおふたりの小説に私が見出だした共通点、端的に言えば、それは「セックス」なのでした。

「花腐し」では、物語のクライマックスで、主人公の中年男が若い女性とセックスをするのですが、松浦さんは渾身の力を込めて、その様子を描写します。それはもう、微に入り細を穿ち、むっとする熱気がこちらまで漂って来るかのようでした。

一方、辻さんの小説では、色街の子供たちの生きざまが生き生きと描かれ、その後物語のラストで辻さんと思われる青年がかつての色街を訪れ、好きだった少女と再開します。楽しかった子供時代を思い出すふたり。そして唐突に、「ぼくは今日がはじめてだった。はじめての相手がルミコでよかった。ほんとうによかった。」と言う一文が織り込まれるのです。セックスの描写はまったくありません。しかし、何ひとつ語られないことで、却ってふたりの若者のこころのぬくもりまでもがくっきりとつたわって来るようで、この「描写」は、私の心に、とても印象的に、そして微笑ましく焼き付いたのでした。

何やら松浦さんを狂言回しにしたような結果になってたいへん申し訳ないのですが、私は、「秘すれば花」と言う世阿弥のあの言葉を、辻さんの最期の作品に接した折りに、想起したのです。