何故、バルトークはかくも暗いのか

初期のバルトークには、とても暗い作品が多いように私には思えてなりません。

例えば「バルトーク以前」のピアノ曲などは、その暗さですぐに「バルトークが鳴ってる!」と気が付いてしまうほどの凄まじい暗さです。

また、これは「バルトーク以後」の作品ですが、「中国の不思議な役人」に至っては、あまりの暗さに当局からストップが掛かり、初演されたのが作曲者の死後、と言う曰く付きの音楽なのです。例えば、冒頭部の暗さは、禍々しいとしか言いようがありません。(殺人のお話ですからね。この凶悪さは、ブーレースに特に顕著です。)

まあバルトークの人生は二つの世界大戦と重なっている訳ですから、芸術家の繊細な魂が巷間の世相に侵食されてしまっても無理はないのかも知れません。

それにしても、「ピアノの打楽器的奏法」を追求した「第1ピアノ協奏曲」、生涯にわたって書き継がれた6つの弦楽四重奏曲、オペラ「青髭公の城」(これは「洗練された暗さ」ですね)等、枚挙に暇がありません。

もちろんそれが悪い等と言うつもりは少しもありません。むしろ「暗さ」はバルトークの必然なのですから、彼の音楽を愛するものにとって、「暗さ」は堪らない魅力であると言えるでしょう。私も暗いバルトークにはたいへん惹かれます。

そのバルトークが最後に完成させた白鳥の歌、「第3ピアノ協奏曲」は、「暗い」バルトークを愛するものを、少々当惑させるように思われます。何しろ、この曲は、あのモーツァルトを彷彿とさせるのですから!

初めてこの曲を聴いたとき、私は絶句しました。バルトークが、歌っている!

しかし、よく考えてみれば、不思議はないのかも知れません。皆さんは、マルタ・アルゲリッチの超名演である、「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」(フィリップス盤)をお聴きになったことがおありかと思います。思い出してください。あのアルバムにカップリングされていたのが、ドビュッシーと、そして他でもない、モーツァルトであったことを。

つまり、バルトークは、モーツァルトの遺伝子を内包していたのです。もちろん、バッハ、ベートーヴェン、そしてドビュッシーの遺伝子をも!

さすがに、リゲティが「モーツァルトな」曲を書いたなら私も怒りますが、バルトークなら、それは必然だと言えるでしょう。