とても美しく甘いけれど バーバーのヴァイオリン協奏曲

サミュエル・バーバーのヴァイオリン協奏曲を聴いています。

これまでまったく聴いたことのない曲でしたが、とりわけ第1楽章の冒頭部から旋律が奏でる余りの美しさに少々驚き、「私の知らない美しさがまだあったのか」と、光か何かに打たれたような衝撃を受けました。

第1楽章、第2楽章と切ない旋律が静かに続くのですが、第3楽章では、現代的なリズムに乗って、バーバーの「美」が炸裂します。

ほんとうに、これほど美しいものが、世界に存在してもいいのでしょうか。

バーバーは「弦楽のためのアダージョ」が特に有名ですが、バルトークがどのような音楽を書いてもバルトークであるように、バーバーもやはりバーバーなのですね。

しかし、この協奏曲は、たいへん美しくまた甘いですが、無条件に甘いのではないと私は思います。バーバーは、ムーサから「美」を貰うことの意味を知っていたのではないでしょうか。ムーサは「私達」に極上の「美」をくれますが、それと引き換えに、「命」を少し持って行ってしまいます。「美」は無償ではないのです。

力強いリズムの中で、煙がほどけるように切ない旋律がヴァイオリンから立ち昇って、第3楽章が終わります。バーバーが見せてくれる「夢」もここでお仕舞いです。「美」があったところにたちまち現実が流れ込み、「私達」はまたひりひりと生きなければなりません。