先日に引き続き、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第5番、第7番、第9番を聴いています。演奏はMandelring弦楽四重奏団。

先日に続き、ショスタコーヴィチの第5、第7、第9弦楽四重奏曲をMandelring弦楽四重奏団の演奏で聴いています。

5番は、弦の鳴り方が印象的な作品です。リズムよく鳴る弦の歌が、心地よく、第2楽章、第3楽章へと途切れること無く移ろっていきます。

ところで、ショスタコーヴィチは、なぜ音楽を書いたのでしょう? もともと、食べるために音楽を書いていたのではない筈です。逆に、音楽では喰っていけないので、なにか別の生業で糊口を凌ぎながら作曲をしていたのだと思います。そう言えば、ショスタコーヴィチ作曲の映画音楽があったような……。

今、Wikipediaに目を通してみましたが、どうも作曲で喰っていたようですね。前言撤回。ただし、中途半端な才能ではたちまち粛清されていたでしょうから、ソヴィエトに留まって作曲の道を選んだショスタコーヴィチの、音楽への覚悟は並大抵のことではなかったでしょう。

自分の命を危険に晒してまで、どうして音楽を追求したのか。その理由を、私は知りたいです。そのために、今こうやって、ショスタコーヴィチの音楽を聴いている訳ですが……。

ひょっとしたら、「絶対的な美への憧れ」が、ショスタコーヴィチにはあったのかも知れません。時間の中に積み重ねられた、圧倒的な完成度を持つショスタコーヴィチの作品に触れていると、作品の層の隙間から、ショスタコーヴィチがこちらへ向けて、そのことを囁いているような気がして来ます。

7番は比較的軽めな作品ですが、そこに於いてさえ、「美の追求」を聴き取ってしまうのは勇み足でしょうか? (9番は、またの機会に。)