「花」と言う詩が出来るまで

昨日、詩を1篇書き上げました。その前に書いたのが昨年の11月でしたから、まさに半年振りということになります。

さすがにこれだけ間が空くと、「詩のこころ」は、すっかり麻痺していました。

学生時代、一緒に同人誌を作っていた年上の人が、「詩作は手作業だよ」とよく言っていたのを思い出します。年上の人曰く、「手作業だから、指先の感覚がとても大事なんだ」と。

いい機会ですから、昨日書き上げた私の詩をここに貼って、1篇の詩がどのように出来上がるのか、御覧頂ければと思う次第です。「花」と言う詩です。

 

Friday, April 27 - Monday, May 07, 2018

雨のあと
うつむいている

震えて
恥じらいながら

言葉の手前で
堪えている

午後
ドミトリー・ショスタコーヴィチ
白蛇の旋律が

透き通る渦の奥に
ゆっくりと沈んで行く

 

最初、私は第3連までを一気に書き上げ、そこでこの詩は完成したと思っていました。ところが、ある優れた詩の先達から、「この詩はもっと展開させたほうがいいよ」とアドヴァイスを受けたのです。

このとき、私の「詩のこころ」は、完全に麻痺していたため、この先をどうすればいいのか、まったく解りませんでした。ただ、微かな感覚が、「固有名を入れてみようよ」と囁くのが聴こえたのです。

第4連、第5連は、当初、

 

午後
ドミトリー・ショスタコーヴィチ
皮肉な旋律が

渦の奥に
ゆっくりと沈んでいく

 

となっていました。ここまでを、私はまた一気に書き上げました。

ここで私は、これもたいへん優れた詩友に感想を求めたところ、「第5連まであった方が断然いい」との言葉を貰いました。

この辺りで、漸く私にも、「詩のこころ」が戻って来始め、まず、「皮肉な」を「白蛇の」に置き換えました。「ショスタコーヴィチ」が「皮肉」なのでは当たり前過ぎます。

この置き換えを行ったことで、「花」は書き上がったかに見えたのですが、私の「神経」は、すっかり調子を取り戻し、「渦」即ち、私のモチーフである《水》に、「透き通る」と言う修飾句を書き添えることが出来たのでした。

これでこの詩は仕上がりました。

調性があってもいいじゃない? 吉松隆考

吉松隆の第5交響曲を聴いています。正直なところ、「調性」のある音楽を聴くとほっとします。

今はどうなのか判りませんが、以前吉松氏は「現代音楽を撲滅する会」の会長でした。同じ「会」の構成員だった西村朗氏が「現代音楽」に没入していく一方で、吉松氏は頑として「調性」にこだわり続け、2001年に冒頭の第5交響曲を発表して、ファンを安堵させたのでした。

私は気が弱いので、出勤したり外出したりするとたちまちにダメージを受けて帰宅することが多いのですが、そのような「精神力が著しく低下していて、出来得るならば早めに癒やされたい」状況にあるとき、さすがに尹伊桑のCDは(作曲者には申し訳ないのですが)聴く気になれず、どちらかと言うと吉松隆の作品が収められたCDに手を伸ばすことが殆どなのでした。

まあ「落ちている」時ばかりではなく、元気なときも「吉松隆が聴きたいな」と思うことが多々あるのですが、バリバリの「現代音楽」娘である私の友人も、衒うこと無く「あ、吉松隆の新譜が出てる!」等と言ったりしているので、吉松贔屓のクラシック愛好家は結構いるのではないでしょうか。

「調性」のある音楽は、どのような時でも、不思議とこころに染み入って来ます。天気のいい日に散歩に出て、尹伊桑の弦楽四重奏曲の一節を口ずさむ人はなかなかいないと思います。どちらかと言うと、吉松隆の「プレイアデス舞曲集」を頭の中で奏でながら歩く人の方が多いのではないかと思うのですが如何でしょうか? 人間をほんとうに支えているのは、高度に加工されて「調性」を慎重に取り除かれた「現代音楽」ではなく、もっと「素朴な」メロディだと私は考えます。もちろん、私も尹伊桑のほんとうの良さを理解しているつもりですし、彼の「交響曲全集」に近々食指を伸ばす積もりでいるのですが、その嗜好の「土台になっている嗜好」は、吉松隆なのです。

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第10番、第12番、第14番を聴いています。演奏はMandelring弦楽四重奏団。

ショスタコーヴィチの第10、第12、第14弦楽四重奏曲を聴いています。

この辺りまで来ると、もうショスタコーヴィチも「円熟期」と言うことになるのでしょうか。12番などは、懐の深い、ゆったりした音が鳴って、聴く者のこころが吸い込まれるような気がします。

私は時折考えるのですが、人生の終点に近づき、様々な経験を経ることで「技術」をいろいろと体得し、ひとつの経験を多様に表現できるようになるのが良いのか、それとも「芸術」の旅の初期にあって、経験はまだまだだけれども「情熱」の力でひたすら押して行ける、その直情さを尊ぶべきであるのか。

ちょうど今、12番の後半で、弦の音が幾重にも重なり、聴いているとクラクラするような箇所に差し掛かったのですが、このような表現は、ある程度経験を重ねないと出て来ないと思うのです。言ってみれば、弦楽四重奏曲は「晩年の音楽」であるのではないでしょうか。ブラームスは晩年に素晴らしい室内楽を多数ものし、ブリテン弦楽四重奏曲は暗さの極致にいたる訳ですから……。

しかし、「詩は青春の文学である」等という言葉もあり、私はこちらにも肯んじるのです。老境でいくら技法に長けたとしても、肝腎のポエジーが無ければ万事休す、なのではないでしょうか。事実、私が最後に書いたのは11月であり、今は5月になろうとしていますから、半年ほど何も書いていないのです……。

演奏は14番に入りました。これはもう、私のような素人の「解説」など不要なほどの「名曲」ですね。暗いのは仕方がないとして、表現力は圧倒的です。私の中にも、まだこれくらいの力は残っているのでしょうか? そのようなことは自分で解りそうなものですが、面白いことに、ポエジーがあるかないかは、実際に書いてみるまで解らないのです。

先日に引き続き、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第5番、第7番、第9番を聴いています。演奏はMandelring弦楽四重奏団。

先日に続き、ショスタコーヴィチの第5、第7、第9弦楽四重奏曲をMandelring弦楽四重奏団の演奏で聴いています。

5番は、弦の鳴り方が印象的な作品です。リズムよく鳴る弦の歌が、心地よく、第2楽章、第3楽章へと途切れること無く移ろっていきます。

ところで、ショスタコーヴィチは、なぜ音楽を書いたのでしょう? もともと、食べるために音楽を書いていたのではない筈です。逆に、音楽では喰っていけないので、なにか別の生業で糊口を凌ぎながら作曲をしていたのだと思います。そう言えば、ショスタコーヴィチ作曲の映画音楽があったような……。

今、Wikipediaに目を通してみましたが、どうも作曲で喰っていたようですね。前言撤回。ただし、中途半端な才能ではたちまち粛清されていたでしょうから、ソヴィエトに留まって作曲の道を選んだショスタコーヴィチの、音楽への覚悟は並大抵のことではなかったでしょう。

自分の命を危険に晒してまで、どうして音楽を追求したのか。その理由を、私は知りたいです。そのために、今こうやって、ショスタコーヴィチの音楽を聴いている訳ですが……。

ひょっとしたら、「絶対的な美への憧れ」が、ショスタコーヴィチにはあったのかも知れません。時間の中に積み重ねられた、圧倒的な完成度を持つショスタコーヴィチの作品に触れていると、作品の層の隙間から、ショスタコーヴィチがこちらへ向けて、そのことを囁いているような気がして来ます。

7番は比較的軽めな作品ですが、そこに於いてさえ、「美の追求」を聴き取ってしまうのは勇み足でしょうか? (9番は、またの機会に。)

尹伊桑の音楽は、21世紀を生きる現代人のこころさえも掴むのです

ショスタコーヴィチから少し寄り道をして、wargoからリリースの尹伊桑を聴いています。

 

バリバリの現代音楽なのですが、何故か尹伊桑「らしさ」が聴き取れるのはどうしてなのでしょう?

 

武満徹の「タケミツ・トーン」は有名ですね。同じように、尹伊桑を聴いていると、独特の「感じ」が伝わって来るのです。

 

wargoのアルバムは室内楽中心なので、楽器の数、つまりは「音の数」が少ないのですが、その方が尹伊桑の「体臭」は強いように私には思われます。

 

私には絶対音感もなく、現代音楽に精通している訳でも決してない、言ってみればごく普通の人間なのですが、例えば十二音技法で書かれた曲でも、作曲者その人らしさはかなり私にまで伝わって来るのです。そして、「伝わる」音楽は、面でこちらにグッと伸し掛かって来るタイプではなく、極限まで切り詰めた、禁欲的な作品が圧倒的に多いような気がするのです。

 

暗闇の中で明滅する光、そのようなピアノのワン・フレーズ、あるいは一瞬水面に浮かび上がった魚が放つ水紋を思わせる、ピチカートの旋律……。そのような音の「断片」に、こちらをはっとさせる、作曲者の「表情」がくっきりと刻まれている。

 

そのため、尹伊桑の「音楽」を聴き続けることは、私にとっては苦痛ではないのです。すっきりと整った「音の形」を胸の中に受け容れることは、むしろ快楽であるとすら言えるでしょう。これは、尹伊桑がどのような生をたどり、どれだけの「弟子」を輩出したか、そのことを知らない者の胸にさえ、否応ない「事実」として迫って来るのではないでしょうか。

 

そうでなければ、死後20年以上もの時を経てアンソロジーCDがプレスされる訳もなく、またそのCDに耳を傾けるとき、聴く者のこころを「音が掴む」筈もないのです。

昨日に引き続き、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を、第3番、第6番と聴き進めます。演奏はMandelring弦楽四重奏団です。

早朝の個室で、ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲を聴いています。

 

最初は第3番です。第1楽章は軽やかに始まりますが、その軽やかさの中には、ひとを小馬鹿にしたようなところは少しもありません。弦楽四重奏曲だからでしょうか? まるでそのことの証明であるかのように、第2楽章が神妙な旋律を奏で、続く第3楽章では、楽想はそのまま激烈に燃え上がります。その後、第4楽章でも深刻さが失われることはなく、第5楽章も暗い散策のように刻まれるのです。

 

今、たまたま「暗い散策」という言葉を使いましたが、ショスタコーヴィチにとって、弦楽四重奏曲は、まさに魂の「暗い散策」だったのだと私は思います。自分の心情を公に吐露すれば、たちまち「退廃芸術」とのレッテルを貼られ、粛清されてしまいますから、交響曲や協奏曲等の「表向き」の顔では、偽りとまでは言いませんが、表情を「作る」必要があったのでしょう。そのような屈折した表現を強いられ、疲弊したショスタコーヴィチは、今度は「難解さ」を隠れ蓑にして、自分の正直な心情を弦楽四重奏曲に吐露したのではないでしょうか。それ故に、ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲は、必然的に暗さを帯びたのですね。

 

続いて第6番に進みます。印象的な旋律がうねる第1楽章。少々ロシアリアリズム的ですが、やはりふざけたところはありません。第2楽章。ロシアリアリズムは、この曲を通底しているようですね。それでもリリカルなのはショスタコーヴィチが腕を振るったからでしょうか? ヴァイオリンのしっとりとした歌。第3楽章。民謡風の、リアリスティックな旋律と、それに纏い付く周辺的な旋律。曲は途切れること無く第4楽章へ。旋律あり。まあソヴィエトで無調や十二音技法の音楽を書いたら粛清されますから、旋律はあって当然なのですが。それでも曲全体が田舎臭くならないのは、ショスタコーヴィチの才能と言ってもいいのでしょう。

 

第8番は、機会があればどこかで触れたいと思います。残念ながら時間切れです。

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を第1番から聴き始めました

昨日新宿のタワーレコードで購入したショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲(audite、CD5枚組)を、第1番から聴き始めました。演奏は、Mandelring 弦楽四重奏団です。

 

まずは第1番。少しも重くならず、軽快なテンポでサクサクと音楽が進んで行きます。軽やかな曲ですが、一度聴いたら忘れることは出来ないでしょう。これはショスタコーヴィチ全般に言えることですが、上辺は軽妙でも、音楽の密度は濃いです。交響曲然り、ピアノ協奏曲然り。

 

続いて第2番。第1番より、伸びやかでしっとりとした曲に聴こえます。おどけた感じは影を潜めます。やはり、弦楽四重奏曲は、ショスタコーヴィチであっても、嘘のない「魂の声」なのですね。この「重さ」が耐えられない、と言う方もいらっしゃるようですが、私は弦楽四重奏曲に強く惹かれます。

 

弦楽四重奏曲ベートーヴェンによって「芸術作品」として完成したと言われています。そして、もう誰もベートーヴェンを超えることは出来ないと言われていたのですが、バルトークがこのジャンルでベートーヴェンの次に偉業を成し遂げました。そして、もう誰もバルトークを超えることは出来ない、と言われていましたが、ショスタコーヴィチが偉業を成し遂げたのです。まさに、「記録は破られるためにある」と言う感があります。

 

CDは第4番を奏で始めました。第2番よりも更に伸びやかでメロディアスな曲です。深みもあります。作曲者の強かさを感じます。似通った4つの弦の音で音楽を作らなければいけない。その禁欲的な「縛り」が、弦楽四重奏曲と言う曲種を至高の音楽に高めているのかも知れません。第4番では、そのことが既に実現しているように感じます。