新宿駅南口のタワーレコードでセール品の買い出しです

新宿のタワーレコードに買い出しに行って来ました!

クラウス・テンシュテットマーラー全集がセール価格で3千円台、と言う情報をオンラインで得て、どうせなら時間もあるので実店舗に行ってみようと思い立ったのです。

frags ビル10F のクラシックフロアに足を踏み入れ、マーラーの棚の前に行くと、ありました、テンシュテットマーラー! しかも驚いたことに、問題のセール価格は更に安く、何と2千円台前半ではありませんか!ご来店特別価格は実在したのですね。

そんな訳で、まずは赤紫色のマーラー全集を手持ちの籠の中へ。

そのまま新譜の棚の前に流れていくと、今度はショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集が3千円台後半で出ているではありませんか! 全集好きの私は、そのショスタコ箱を続けて籠の中に入れたのでした。これまた聴き甲斐のありそうなボックスをゲットです。

同じ並びの棚からベルグルンドのシベリウス(980円!)を籠に入れた私は、店内を循環して現代音楽のコーナーへ。ライヒの新譜があったのですが、予算オーバーなので、ぐっと堪えて尹伊桑の新譜に興味を切り替えます。何故か今まで、尹伊桑は聴いて来なかったな、と思い至り、籠に入れたところで予算が尽きて買い物終了です。まあこれだけ収穫があれば十分ですね。

と言うことで帰宅したのでしたが、悲しいかな、私のオーディオ環境であるパソコンは目下がらくたの下深くに埋まっていて、戦利品をすぐに聴取することが出来ません。(私はパソコンにヘッドフォンを繋げ、光学ドライブにCDをセットして音楽を聴いているのです。究極のPCオーディオなのです。)

明日出勤したら、まずは尹伊桑からじっくりと聴き込んでみよう、と未来に思いを馳せつつ、私は部屋の片付けに今日も手を着けたのでした。

松浦寿輝と辻征夫の話

かなり前の話になるのですが、松浦寿輝さんが「花腐し」で芥川賞を受賞なさった時のことを、思い出していました。

松浦寿輝、御存知ですか?

その受賞とおなじとき、ひとりの詩人が、一冊の小説を残して亡くなりました。

辻征夫。小説の名は、「ぼくたちの(俎板のような)拳銃」と言います。

「花腐し」は、この時まだハードカバーにはなっておらず、私はぐにゃぐにゃの文芸雑誌で松浦寿輝の快挙を読んだのでした。

何故、この2編の小説のことを覚えているのかと言うと、ふたつの小説には、ある「共通する一点」があり、その対比が、私にはとても印象的だったからなのです。

松浦寿輝と辻征夫は、全く異なる資質を持った詩人です。辻さんは、ユーモアに富んだ、のびのびとした詩を得意とされました。松浦さんについては、まだまだお元気ですし、特に説明の必要はないでしょう。理知的な、精緻の極みのような散文詩が、私は大好きです。

この、資質の全く異なる詩人が、同時期に小説に移行し、その記念すべき初めての小説で、松浦さんは芥川賞を受賞され、辻さんは亡くなりました。

さて、このおふたりの小説に私が見出だした共通点、端的に言えば、それは「セックス」なのでした。

「花腐し」では、物語のクライマックスで、主人公の中年男が若い女性とセックスをするのですが、松浦さんは渾身の力を込めて、その様子を描写します。それはもう、微に入り細を穿ち、むっとする熱気がこちらまで漂って来るかのようでした。

一方、辻さんの小説では、色街の子供たちの生きざまが生き生きと描かれ、その後物語のラストで辻さんと思われる青年がかつての色街を訪れ、好きだった少女と再開します。楽しかった子供時代を思い出すふたり。そして唐突に、「ぼくは今日がはじめてだった。はじめての相手がルミコでよかった。ほんとうによかった。」と言う一文が織り込まれるのです。セックスの描写はまったくありません。しかし、何ひとつ語られないことで、却ってふたりの若者のこころのぬくもりまでもがくっきりとつたわって来るようで、この「描写」は、私の心に、とても印象的に、そして微笑ましく焼き付いたのでした。

何やら松浦さんを狂言回しにしたような結果になってたいへん申し訳ないのですが、私は、「秘すれば花」と言う世阿弥のあの言葉を、辻さんの最期の作品に接した折りに、想起したのです。

ブルックナーについて、あらためて語ります

このブログはマーラーについてのものです、と言っておきながら、実はブルックナーが好き……。しかもバルトークにもかなり惹かれている。

 

私のブログは、結局「雑記ブログ」になっています。

 

まあ、キツい思いをして延々とマーラーについて書き続けるよりも、時折べつの作曲家の話を織り混ぜたり、あるいは全く音楽以外の話題をお伝えする方が、つまり私の興味のあることについてその時々に書き綴る方が、読んでくださる皆さんにも楽しんで頂けるでしょうし、結局私も長く書くことが出来るのだと思います。何しろ、ここは“frogrief's diary”であって、「マーラー・ブログ」ではないのですから。

 

ただ、私はそれほど器用ではありませんから、やはり中心となる話題は、自分が最も関心のある音楽家について、だと思います。つい先程も、ブルックナーの第4交響曲をしみじみと聴いていました(既にマーラーではありませんね。実は左遷されて誰もいない部屋にいるのですが、大量にCDを持ち込んでいるお陰で、音楽をパソコンで聴いているのです。これではきっと「上」も、どうしたらいいのか分からないでしょう。いい気味です)。

 

折角ですから、ブルックナーのお話をしましょう。

 

ダニエル・バレンボイムは、ブルックナーに「取り憑かれている」指揮者です。彼には立派な「ブルックナー全集」が3点(ベルリン・フィルシカゴ交響楽団ベルリン国立歌劇場管弦楽団)あり、Blue-rayでもブルックナーを振り、更に最近ではインディーズ・レーベルを立ち上げてまでして、最新の「ブルックナー全集」を録音しています。ブルックナーの音楽には、そこまで人を惹き付ける力があるのです。私もブルックナーの魅力に「取り憑かれて」いますから、バレンボイムの気持ちはよく解ります。

 

ブルックナーは、かなり特殊な作曲家だと私は思います。バッハやモーツァルトについての本は沢山ありますが、ブルックナーの本は、なぜか殆どありません。また、おおきな書店で音楽史の本を紐解くとき、ブルックナーの記述を探すのですが、索引にブルックナーの名前が見つかる本のほうが稀です。ブルックナーワーグナーを崇拝していたのは有名なエピソードですが、作曲技法の面で影響を受けてはいません。音楽史に名前が浮かび上がって来ないブルックナーは、誰の影響も受けず、誰にも影響を与えないまま去っていったのです。(最近、ある本の中で「シューベルトの影響を受けている」と書かれたくだりを読み、かなり驚きました。)

 

あの、息の長い、とても長い旋律には、「オルガン性」があると言われています。しかし、ブルックナー以外に「オルガン性」のある音楽を書いた作曲家はいないのです。

 

ブルックナーの音楽には「手放しの美しさがある」と、私の友人は言いました。全くそのとおりだと思います。危険な言い方かも知れませんが、マーラーよりも、バルトークよりも、ブルックナーの音楽は純粋で美しいのです。たとえすべての交響曲が、「金太郎飴」であるにしても。

ブルックナー礼讃

最初、このブログで私が主として触れていこうと思っていた作曲家は、アントン・ブルックナーでした。私は、ブルックナーがだいすきなのです。ところが、念のために「ブルックナー ブログ」で検索をかけてみたところ、とんでもない先行サイトが見付かってしまったのです。そのサイトの名前は……。皆さんも「ブルックナー ブログ」でググってみてください。とにかく、質・量とも、私一人が逆立ちしても敵いそうもない、そんな「おばけサイト」なのです。ただし、私も、ブルックナーを愛することに於いては、他の愛好家の皆さんに引けを取らない積もりですから、本気を出したら、そう簡単には負けません。

 

それはともかく、ブルックナーは「先約あり」でしたので、「毎月新譜が出る」「1年のうち何回か、交響曲全集が出る」「日本語で読める資料が多い」「だいすき」と言う条件を満たすところの二人目の作曲家、グスタフ・マーラーを取り上げることにしたのでした。「市場調査」を行う前は、「マーラーも、誰かがもう取り上げていて、きっと凄いサイトがもうあるのだろうなあ」と、諦念のため息を漏らしながらググったところ、驚いたことに、一貫してマーラーを中心に据えたサイトは、どこにもなかったのです。如何にもありそう、そんな印象が、マーラーにはありますよね。

 

そんな訳で、このブログの主人公はマーラーに決定しました。もともとコンピュータが好きなので、当初はレンタルサーバ上でWordPressを立ちあげて、色々と展開してみよう、等と夢見つつ準備を進めていたのですが、あと少し、と言うところまで来て、ひょんなことでこの「はてなブログ」にアカウントを作ることになり、「作ったのなら、実際に何篇か、記事を投稿してみよう」と積極的に考えて、投稿してみたところ、実に面白いではありませんか! 木乃伊取りが木乃伊になる、とは、まさにこうしたことを言うのでしょうね。

 

ブルックナーについては、もうこのブログでも登場しました。ずっとマーラーが続くとアレですので、これからも、ブルックナーは現れるような気がします。)

何故、バルトークはかくも暗いのか

初期のバルトークには、とても暗い作品が多いように私には思えてなりません。

例えば「バルトーク以前」のピアノ曲などは、その暗さですぐに「バルトークが鳴ってる!」と気が付いてしまうほどの凄まじい暗さです。

また、これは「バルトーク以後」の作品ですが、「中国の不思議な役人」に至っては、あまりの暗さに当局からストップが掛かり、初演されたのが作曲者の死後、と言う曰く付きの音楽なのです。例えば、冒頭部の暗さは、禍々しいとしか言いようがありません。(殺人のお話ですからね。この凶悪さは、ブーレースに特に顕著です。)

まあバルトークの人生は二つの世界大戦と重なっている訳ですから、芸術家の繊細な魂が巷間の世相に侵食されてしまっても無理はないのかも知れません。

それにしても、「ピアノの打楽器的奏法」を追求した「第1ピアノ協奏曲」、生涯にわたって書き継がれた6つの弦楽四重奏曲、オペラ「青髭公の城」(これは「洗練された暗さ」ですね)等、枚挙に暇がありません。

もちろんそれが悪い等と言うつもりは少しもありません。むしろ「暗さ」はバルトークの必然なのですから、彼の音楽を愛するものにとって、「暗さ」は堪らない魅力であると言えるでしょう。私も暗いバルトークにはたいへん惹かれます。

そのバルトークが最後に完成させた白鳥の歌、「第3ピアノ協奏曲」は、「暗い」バルトークを愛するものを、少々当惑させるように思われます。何しろ、この曲は、あのモーツァルトを彷彿とさせるのですから!

初めてこの曲を聴いたとき、私は絶句しました。バルトークが、歌っている!

しかし、よく考えてみれば、不思議はないのかも知れません。皆さんは、マルタ・アルゲリッチの超名演である、「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」(フィリップス盤)をお聴きになったことがおありかと思います。思い出してください。あのアルバムにカップリングされていたのが、ドビュッシーと、そして他でもない、モーツァルトであったことを。

つまり、バルトークは、モーツァルトの遺伝子を内包していたのです。もちろん、バッハ、ベートーヴェン、そしてドビュッシーの遺伝子をも!

さすがに、リゲティが「モーツァルトな」曲を書いたなら私も怒りますが、バルトークなら、それは必然だと言えるでしょう。

こころを生き返らせる力

昨日、ボロボロの状態で出勤して、使わせて頂いている個室に転がり込んだとき、真っ先に私がしたこと、それはブルックナーを聴くことでした。

気力が尽きて、こころも弾力を失い、もう何もかもがどうしようもなくなったときでも、ブルックナーを聴いていると、不思議と私は持ち直すのです。

相性? それもあるかも知れません。しかし、ブルックナーの音楽が持つ、「こころを生き返らせる力」は、相性の問題だけではとても説明出来ないように、私には思えるのです。

昨日、最悪の状態にあるとき、私はブルックナーの第7交響曲を聴きました。これは、40歳を過ぎて作曲に手を染めたブルックナーが、作曲家として初めて世に認められた、記念すべき交響曲です。

一番最初に聴いたマーラーを私は覚えていませんが、初めて聴いたブルックナーなら、今でもはっきりと記憶しています。フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮、シャンゼリゼ管弦楽団演奏の、交響曲第7番です。

私の感想に過ぎませんが、この7番は、形式もすっきりと整っていて、気を衒わず、派手なところもなく、まるで澄んだ水が岸辺に何度も打ち寄せるのをいつまでも眺めているような、そんな安らぎを覚える曲なのです。

「餃子の王将」で醤油ラーメンを食べました

今日は時間を作るため、JR府中本町駅前の「王将」で、ラーメンを食べました。

王将で「ラーメンください」とお願いすると、「醤油ラーメンと王将ラーメン、どちらになさいますか?」と聞かれます。王将には、2種類のラーメンがあるのです。

私は今日、「醤油ラーメン」を注文しました。王将の醤油ラーメンは、恐らく王将のメニューのなかで、あの餃子と並ぶシンプルな料理です。

注文からしばらくして、少し小さめの丼が運ばれて来ました。醤油ラーメンです。麺の上には、チャーシュー2枚、半熟の茹で玉子、メンマがのっていて、スープからは、醤油と出汁のいい香りが立ち上って来ます。

これは王将ビギナー向けのメニューだったかな、と周りを眺めていると、醤油ラーメンを注文しているお客さんが結構います。ビギナーどころか、れっきとした人気メニューのようです。

蓮華でスープを掬って口に含んでみると、ぎとぎとした感じは少しもなく、それでいてしっかりした味がついています。後口もさっぱりとしていて、いい感じです。

2枚のチャーシューは柔らかく、よく味が染みていて、メンマも嫌味がありません。茹で玉子もいい味がします。

これで480円(税抜き)です。私には非常にリーズナブルなお値段で、また来て食べたいな、と思いました。

レジでお金を支払うと、厨房から出て来たおじさんが、カードにスタンプを1個、ポンと捺してくれました(5/31までのサービスのようです)。今度は「王将ラーメン」を食べてみよう、と、店を出ながら、私は思ったのでした。